はじめまして、こんにちは。
アロマ整体サロン「オハナ」のオーナーセラピスト、まつむろともこです。
皆さまからは「ともさん」と呼ばれています。
屋号の「オハナ」は、ハワイの言葉で“家族”という意味。
お越しいただくお一人おひとりとのご縁を大切に、
そしてその方の大切な人たちへも、幸せがつながっていくように――
そんな想いをこめて、自宅でサロンを営んでいます。
「身体が軽くなると、心もふわっと軽くなる」
そんな心地よさを、ぜひ体感しにいらしてくださいね。
どうぞよろしくお願いいたします
誰もが本来持っている美しい響きを奏でさせてあげたい。
整体、ボディケアー、アロマなど、美と健康のために仕事をしている私ですが、私自身が感じている感覚を言葉にするなら、きっとこういう感じなのでしょう。
両親に言われるがまま、物覚えがある頃には、既にピアノの猛練習に明け暮れる日々だった幼少期。
そのままプロの演奏家であるトップピアニストを目指して進学。
しかし、指の短さなどの身体的な不利を自覚してからは、それを乗り越えためのもがきの日々。そしてそれもいつしか頭打ちに…。
目指すものが明確だっただけに、それを失った私は自分が何者として生きていけるのかわからないまま、就職活動中に私の目に飛び込んできたのがエステでした。
カラフルに脚色された空間で、女性が魔法をかけれたように美しくなる。その様は、目指していたものに似たものでした。
しかし、安定した仕事を勧めたかった両親には理解されず、そのままOLに。
「今日からもうピアノを弾かなくてもいい」
当時は、楽しいことを知る度に片っ端から手を付ける日々。
今思えば、枷が外れた反動からだったのかもしれません。
社内恋愛で結婚。
しかし、鍛え上げることばかりで育てられた私に訪れたのが子育ての難しさ。
私が厳しすぎたのか、それともゆとり教育と個性重視になった現代の子供には合わなかったのか。
目指している理想の家庭像には、いつまでも届かないまま、母としての挫折を繰り返しました。
私の舞台はどこだろう。
そう願い始めた矢先、脳裏をかすめたのは、エステティシャンとしての夢。
しかし、それを学ぶための経済的ゆとりはありませんでした。
その頃、テニスにはまり、身体を動かすことに抵抗がなかった私は、スポーツインストラクターの研修を受け、どうにか仕事を手にします。
1日にお相手するのは約300人のお客様
その中で、女性のお悩みを随分とお聞きしました。振り返ってみれば、このときの経験が今の仕事の原点になっています。
お客様として通われていた、末期がんの女性、しほさんと出会います。
彼女はピアニストでした。
しんどさは微塵も感じさせない自然な仕草。
しかし、徐々に彼女の病は進行し、スポーツジムには来れなくなってしまい、その頃には右手が動かなくなってしまっていました。
しかし、彼女は桜の季節にピアノの演奏会を開くことを決めていました。
それから入院され、厳しい状況が続きます。それでも彼女は演奏を人に聞かせたいと、退院の許可をもらい、がんで動かせない右手は使わず、左手だけで演奏会を成し遂げたのです。
ご主人も演奏家でしたから、一緒に音を奏でることもあったのでしょう。お子さんはまだ学生でしたし、きっとその先も見たかったと思います。
それでも自分の置かれている環境にくじけず、いつも笑っておられました。まっすぐに生きようとする様に、影響を受けずにはいられませんでした。
助けたい。
それなりには学んだ身体のこと。
何か役に立てないか。
そう願いつつも、ほどなくして彼女は逝ってしまいました。
何もできなかった悔しさ。
命がけで生き方を教えてくれた彼女の死。
無駄にしたくない。
もっと早くお会いできていたなら、もっともっと自分にも、できたことがあったかもしれない。
既に学び始めていた身体のこと。さらに深い知識を極めたいと思うようになりました。
そこからメディカル系のアロマスクールへ。
ボディケア、解剖学、心理学などを体系的に学ぶスタートとなりました。
しかし、学び続けるうちに、それでもまだ浅い、もっと深く学びたいと思うようになり、学校を変え、マタニティやアロマトリートメントの知識も習得しました。
しかし、立ちはだかったのは年齢という壁。
技術を活かしたくても、既に40代だった私は、エステサロンに勤めようと思っていたのに雇ってもらえませんでした。
なんとか見つけ出したのはお風呂屋さんのリラクゼーション。
経験を積みたかったこともあり、昼はスポーツインストラクターを続けつつ、夜はお風呂屋さんで深夜2時まで。さらに鍼灸院で整体の助手として学びと実践を繰り返し、3つの仕事を休みなく続けていました。
既に向かう先が見え始めていた自分にとって、苦ではなく、むしろ楽しかったと思いますが、ハードワークがたたって手を怪我してしまいます。
悔やみがあるからこそ、目の前にいる患者さんには誠意をもって応えたい。怪我の功名と言いますか、身体の小さかった私なので、自分の身体を壊さないように考慮しつつ、かつお客様に満足していただけるよう、手技に改良を重ね続けました。
ただ、お客様優先の考え方は、ビジネス重視のオーナーと折り合いがつかずに退職。次の職場は早くに倒産してしまいましたが、その頃には既に、お客様がお客様をご紹介くださるようになっていました。
途中、美容の仕事にも携わることとなり、結果、美と健康について、多くの学びが手に入りました。
積み上げた学びと経験を、目の前に人にすべて投入する。
とにかくそのことに徹しました。
提供するものは、毎度お客様に合わせたオーダーメイドになります。
だからこそ、自分が提供しているものを端的に言葉にするのは難しく、ご紹介くださるお客様も、「これってなんて言ったらいいの?」といつも聞かれます。その人その人に合わせ、やってみないと、自分でもわからないのです。
長年積み上げてきた、基礎的な練習によって奏でられる演奏のようなものかもしれません。
思えば、いつもそこに救ってあげたい人がいたように思います。
だからこそ、次へ次へと新しい学びに手をつけ続けてきました。
ある日、エステや整体には常に仕事として不安視してきた父が、施術を受けに来てくれた。
いつも通り、他のお客様へ向かう姿勢のままに臨む施術に、
「もういいよ。もういい。」
遠慮なのか、気を遣っていたのか…
何度も途中で施術を終わろうとします。
実のところ、この仕事を父には良く言われてませんでした。
そんな言葉を何度も聞いたのを覚えています。
思えば学生の頃も、結婚生活でも、子育てでも…、良かれと思ってしていた多くのことで、その都度辞めさせられてきました。
どこか気圧されたような、父の姿。
帰り道、車で送っていくと、その顔は何かに納得したような、どこか諦めを感じさせるような、今までに見せたことのないものでした。
もうこいつには何を言っても無駄なんだと思ったのでしょうか。
振り返れば私自身の人生は、何をやっていても、親が敷いたレールの上を歩かされていたような気がします。あくまで私の感覚ですが。
今はやっと自分の足で歩けるようになってきたと感じています。
このことは、最近学ぶようになった心理の学びも影響しているのかもしれません。
既に50歳を過ぎましたが、私の中で、私はやっと社会人1年目になれた感覚。
何をやっても楽しいのが今の現状。
学び続けてきた点と点が線となり、面となり、やっと形と色を帯び始めてきている気がします。
毎年挑戦をしています。今年は世界セラピスト大会へエントリーしました。時折ブログでお伝えできること、読んでみてくださいね。