サロンを始めて四年目。
出会いと別れを繰り返してきました。
今年はこれまでにないご縁も
巡ってきています。
これまで、あまり私事を
お話してきませんでしたが、
これからの自分の可能性を広げていくために、
自分を振り返ってみました。
「誰もが持っている本来の"美しい響き"を奏でさせてあげたい! 私はその調律師。」
整体、ボディケアー、アロマなど、美と健康のために仕事をしている私ですが、私自身が感じている仕事に対する感覚を言葉にするなら、きっとこういう感じになります。
両親に言われるがまま、物覚えがある頃には、既にピアノの猛練習に明け暮れる日々だった幼少期。
そのままプロの演奏家であるトップピアニストを目指して進学。
しかし、指の短さなどの身体的な不利を自覚してからは、それを乗り越えためにもがく日々。そしていつしか頭打ちに…。
目指すものが明確だっただけに、それを失った私は自分が何者として生きていけばいいのか、わからないまま就職活動に入りました。
そんな時に私の目に飛び込んできたのがエステでした。
カラフルに彩られた空間で、女性が魔法をかけれたように美しくなる。その様は、迷っている私を惹きつけました。
しかし、安定した仕事を勧めていた両親には理解されず、そのままOLに。
「今日からもうピアノを弾かなくてもいいんだ」
当時は、あまり経験する暇がなかった"楽しいこと"を知る度に片っ端から手を付ける日々。
今思えば、心のタガが外れた反動からだったのかもしれません。
社内恋愛で結婚。
そして出産。
鍛え上げることばかりで育てられた私に訪れたのが子育ての難しさ。
私が厳しすぎたのか、それともゆとり教育と個性重視になった現代の子供には合わなかったのか。
目指している理想の家庭像には届かないまま、母としての挫折を繰り返しました。
「私の舞台はどこだろう。」
子育ても少し落ち着き、脳裏をかすめたのは、エステティシャンとしての夢。
しかし、それを学ぶための経済的なゆとりはありませんでした。
その頃はテニスにはまり、身体を動かすことに抵抗がなかった私は、スポーツインストラクターの研修を受け、どうにか人の身体を相手にする仕事を手にします。
1日にお相手するのは約300人。
その中で、女性のお悩みを随分とお聞きしました。振り返ってみれば、このときの経験が今の仕事の原点になっています。
お客様として通われていた末期がんの女性、しほさんと出会います。
彼女はピアニストでした。
しんどさを微塵も感じさせない自然な仕草。
でも徐々に彼女の病は進行。スポーツジムに来れなくなってしまい、右手も動かなくなってしまいました。
しかし、彼女は桜の季節にピアノの演奏会を開くことを決めていました。
とうとう入院され、厳しい状況が続きます。それでも彼女は演奏を人に聞かせたいと、退院の許可をもらい、がんで動かせない右手は使わず、左手だけで演奏会を成し遂げたのです。
ご主人も演奏家でしたから、一緒に音を奏でることもあったのでしょう。お子さんはまだ学生でしたし、きっとその先も見たかったと思います。
それでも自分の置かれている環境にくじけず、いつも笑っておられました。まっすぐに生きようとする様に、影響を受けずにはいられませんでした。
助けたい。
それなりには学んだ身体のこと、
少しでも何か役に立てないか。
そう願いつつも、ほどなくして彼女は逝ってしまいました。
何もできなかった悔しさ。
生き方を教えてくれた彼女の死。
無駄にしたくない。
もっと早くお会いできていたなら、もっと自分にも、できたことがあったかもしれない。
既に学び始めていた身体のこと。さらに深い知識を極めたいと思うようになりました。
そこからメディカル系のアロマスクールへ。
ボディケア、解剖学、心理学などを体系的に学ぶスタートとなりました。
しかし、学び続けるうちに、それでもまだ浅い、もっと深く学びたいと思うようになり、学校を変え、マタニティやアロマトリートメントの知識も習得していきました。
ここで立ちはだかったのは年齢という壁。
技術を活かしたくても、既に40代だった私は、エステサロンに勤めたくても雇ってもらえませんでした。
なんとか見つけ出したのは、お風呂屋さんのリラクゼーション。
経験を積みたかったこともあり、昼はスポーツインストラクターを続けつつ、夜はお風呂屋さんで深夜2時まで。さらに鍼灸院で整体の助手として学びと実践を繰り返し、3つの仕事を休みなく続けていました。
忙しい日々でしたが、目標が見え始めていた自分にとって、苦ではなく、むしろ楽しかった。
でもハードワークがたたって手を怪我してしまいます。
怪我の功名と言いますか、身体の小さかった私は、身体の使い方には人よりも気を遣います。手にも負担がかからないように改良を重ねました。
目の前にいる患者さんには誠意をもって応えたい。その一心でした。
お客様優先の考え方は、ビジネス重視のオーナーと折り合いがつかない事も。お客様優先だけはどうしても譲れなくて、退職をした事もありました。倒産してしまった職場もありましたが、経験を重ねていくうちに、お客様がお客様をご紹介くださるようになっていきました。
積み上げた学びと経験を、目の前の人にすべて投入する。とにかくそのことに徹しました。
提供するものは、毎回お客様の状態に合わせ、寄り添ったオーダーメイド。
だからこそ、自分が提供しているものを端的に言葉にするのは難しく、ご紹介くださるお客様も、「これってなんて言ったらいいの?」といつも聞かれます。その人のその時の状態に合わせ、やってみないと、自分でもわからないのです。
長年積み上げてきた、基礎的な練習によって奏でられる演奏のようなものかもしれません。
思えば、いつも救ってあげたい人がいたように思います。
だからこそ、次へ次へと新しい学びに手をつけ続けてきました。
ある日、エステや整体には仕事として不安視してきた父が、施術を受けに来てくれた。
いつも通り、他のお客様へ向かう姿勢のままに臨む施術。
「もういいよ。もういい。」
遠慮なのか、気を遣っていたのか…
何度も途中で施術を終わろうとします。
実のところ、この仕事を父には良く言われてませんでした。
「水商売みたいだから、早く辞めなさい」
そんな言葉を何度も聞いたのを覚えています。
思えば学生の頃も、結婚生活でも、子育てでも…、良かれと思ってしていた多くのことで、その都度辞めさせられてきました。
施術後、どこか気圧されたような、父の姿。
帰り道、車で送っていくと、その顔は何かに納得したような感じがして、今まで私に見せたことのないものでした。
振り返れば、私自身の人生は、何をやっていても、親が敷いたレールの上を歩かされていたような気がします。
今はやっと自分の足で歩けるようになってきたと感じています。
このことは、最近学ぶようになった心理の学びも影響しているのかもしれません。
既に50歳を過ぎましたが、私の中で、やっと社会人1年目になれた感覚。
何をやっても楽しいのが今。
学び続けてきた点と点が線となり、面となり、やっと形と色を帯び始めてきている気がします。
シンフォニー(交響曲)とまでは呼べずとも、お客様と私のデュオ(二重奏)にはなれるのではないか。私が伴奏、お客様はソリストです。