自分を受け入れ、少しずつ前へ
——記憶を再構築するということ
最近、心と身体のつながりをより深く実感したくて、心理学を学び続けています。
その学びの中で、私がひとつの目標としているのが、心の状態も身体と同じように「見立て」られるようになることです。
みなさんは、「見立てる」という言葉にどんなイメージを持っていますか?
「見立てる」という言葉の意味
「見立てる」には、いくつかの意味があります。
1. 診断・判断する
医師が症状を見て「風邪と見立てる」ように、状況から判断すること。
2. たとえ・比喩として置き換える
「石を富士山に見立てて庭を作る」など、別のものになぞらえること。
3. 選定する・選び抜く
「贈り物を見立てる」ように、相手を思って選ぶこと。
どれも感性や経験が問われる、日本語ならではの豊かな表現です。
私が日々意識しているのは、特に3番目の「相手のために選ぶ」という意味。
アロマの香りを選ぶときも、誰かに手を差し伸べるときも、その人に合ったものを丁寧に「見立てる」ことを大切にしています。
記憶は再構築できる
先日、上野先生の実用心理学講座に参加したとき、ある言葉が心に響きました。
「記憶は再構築できる」
この一言に、私はふっと肩の力が抜けたような気がしたんです。
記憶はただの過去ではなく、「そのときの自分が創ったもの」でもある——
つまり、それは変えることもできる、ということ。
楽しかった記憶も、思い出すのがつらい記憶も、すべてが自分の一部でありながらも、絶対に固定されたものではない。
思い出の「とらえ方」を変えることは、未来の自分の心のあり方をも変えていくことにつながるでしょう。
「私はどうしたいの?」
誰かの価値観ではなく、自分自身の願いに気づき、認めていく。
そのためには、まず「私はどうしたいの?」と自分に問いかけ続けます。
他人と関わる中で自分を見失いそうになることもあるけれど、
そのたびに立ち返る場所として「自分らしさ」を持っていたいですね。
特に忙しい毎日を過ごしていると目の前のことに追われてがちになる。そんな時は少し立ち止まり、ふっと肩の力を抜きましょう。
あなたは今、
何をやりたいですか?
叶えたい願いは何ですか?